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滋賀在住。個人の雑記ブログ。

空虚感

      2016/12/25

先日、Eテレで「漱石が見つめた近代~没後100年 姜尚中がゆく~」というドキュメンタリー番組をみた。

眠かったし、ぼーっと眺めてただけなので内容はそれほど頭に入っていないけど、その時「夏目漱石」というワードから連想して別のことを考えていた。

そういえば夏目漱石は自分がないことにずっと悩んでいた人だったなぁと。

以前、青空文庫で「私の個人主義」を読んだことがあって、おおよそどのような人物なのかは知っていた。

漱石は他人軸の人生を自分軸に変えたことで「自分がない」不安定な状況から脱却したのだったと思う。

番組を視聴している最中ふとそのことを思い出して、今の空っぽい自分はコレかな?などと思った。

けれども自分の場合は、それなりに自分の人生を歩んでいると思っているので、自身が抱いている空虚な状態と漱石が抱いていた悩みのタネは違っている気がする。

例えば趣味でお絵かきをしたり本を読んだり、少し前はカードゲームで遊んだりジョギングしたりしていたけど、これは別に人の目を気にしてやっていた行為ではないし自分が好きで楽しんでやっていた事だ。

でも最近はあまり楽しいと思えなくなってきた。

仕事の場合、楽しくなくても腹立つ事があっても、感情で考えるより理性で考るように切り替えればいいのでわりとなんかなる。

っていうかいちいち腹立ててたら仕事にならない。

しかし趣味の場合、楽しいと感じたりワクワクする気持ちがないと虚しくなるばかりだ。

このままでは人生全体が空虚感に支配されそうなので、なんとかならんかと問題と対策について書き出してみることにする。

 

ひとつ、趣味が楽しくないと感じているのは趣味とは別の所、つまり生活や人生がある程度満たされていて普通で刺激が足りておらず、平和ボケを引き起こしているというのがある。

一応ここでいう「普通」というのはマズローの欲求段階説で言うところの、第二(安全、安心)を満たしている事とする。

第二段階の安心安全とは、寝れる場所があって日々暮らしていくだけのお金が稼げていることで、日本に住んでいれば大体の場合これらは満たされる。

それが満たされると第三段階の社会的欲求、つまり集団に属し仲間を作りたいという欲求が生まれ、そして第四の承認(認められたい)第五の自己実現(創造的活動)へと続く。

自分の場合、社会的に尊敬されたいとか、なんらかのグループに属してワイワイやりたいとう気持ちはない。

思い起こしてみても、働き始めてからいままでに一度も(本気で)偉くなってやろうとか思ったことがない。

私も含め、ゆとり教育世代はこのようにある種の悟りを開いているとかなんとか言われているらしく、たしかにその通りで10代の時ほど物欲はわかないなと自分でも思う。

まぁごちゃごちゃと書いたが要するに、日常がマンネリ化してるから刺激がなくてそれが肥大化して趣味にまで影響を及ぼし、つまらんくなってるとかそーゆ―事なのかも。

コレに関してはあれこれ内面をほじくり返しても、解決に関するインプットが足りていないが故に見いだせないわけで、今までに読まなかったタイプの本を読んだり、普段あまり行かない所へ出かけてみたりするのが良い刺激になるのかな、などと感じている。

今まで興味なかったものに触れてみるいい機会なのかしらん。

 

もうひとつ、一時的な気分によるもので、実際にはこれが一番の原因かと感じている。

いわゆる冬季鬱というやつで、冬だし寒いし暗い気持ちになっているだけで、先日友人と話していて気になったのでググったら、冬にそういった症状になる人は結構いるらしい。

精神的なもの…というよりは、根底はやはり肉体疲労からなるもので、寒いと自立神経が狂って終いにはそれが精神的に来るといった感じ。

気候をコントロールするなんぞ出来るわけもないので、寒さによるストレスは暖かい格好をするとか、今の時期は外での運動は辛いのでストレッチをするなどしてやり過ごすしかないように思う。

と、このように書き出してみるとおおよその不安のタネというやつが具体化されて、まぁまぁ納得がいくしこれ以上あれこれ考えても仕方がない上に適度に折り合いをつけないと病みそうなので、ネガティブなことを綴るのはいい加減にしておこうと思った。

おわり。

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